2010年12月1日水曜日

人は不平等に扱うべきだ

 「人は平等ではない。うまれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱なからだを持つ者、生まれも育ちも才能も人間はみな違っておるのだ。そ う、人は差別されるためにある。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進化がうまれる。不平等は悪ではない。平等こそが悪なのだ。」あの有名なシャルル・ ジ・ブリタニアの言葉だ。

 いつも通りおふざけから入ったのだが、マニアック過ぎて分からなかっただろうか?

 よく思うことだが、全ての友人・知人を平等に扱うのも悪なのかもしれない。人によって私の要望にきっちり答えてくれたり、融通をきかせてくれる。情報を 与えてくれるものや遊びに誘ってくれる人がいる。その一方でGIVEという英単語を覚えられなかったようなものまでいるだろう。よし、では全力で不平等に 扱ってみる方法を考えよう。

 自分のリソースが少なくて、私に良くしてくれる人と良くしてくれない人のどちらかにしかリソースを配分できないならば、前者に配分するという不平等な行 為をとるべきだろう(ここでいうリソースとは時間、体力、金などの資源総合である)。色々と言いたいことはあるだろうが、これがとりあえず不平等に扱う行 為としよう。

 では、これを私たちが達成できるのかと考えたら、案外難しい。まず、「良くする」というのがどういうことを指すのかがわからない。5のリソースを持つ人 が4のリソースを提供するのと100の力を持つ人が5のリソースを提供するのではどちらがより「良くする」という行動をとってくれているのだろうか? もし、「良くする」の定義ができても、相手がどの程度頑張っているのかを正確に測定することは難しいだろう。自分が気付かない「良くする」行動があるはず だ。なんだ、不平等に扱えないじゃないか。

 ということわだ、私たちは人を不平等に扱うことができず、シャルル・ジ・ブリタニアが悪と罵る「平等」にしか人を扱えないのだ。

 ・・・、上記の最後の主張には論理的な問題があるのだが、気付かれただろうか?

 まー、どうでもいいや。


 最後に私は人を平等に扱わない。先述した方法とは異なる指標を使ったり、測定の問題をはらみながらも、私なりの不平等な方法で扱うようにしている。でないと、単純にこの世は生き難いよ。



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